1.英国タンノイ社の歴史とオートグラフの復活

オートグラフの復活


【1】1953年、ニューヨークでオートグラフを発表
タンノイの創立者ガイ・R・ ファウンテンとチィーフエンジニアのロナルド・H・ラッカムが制作したのが 「オートグラフの1号機」 です。 それは、デュワル・コンセントリック方式のユニットを使いオートグラフ = 作者直筆と名付けられた壮大なオーケストラの音を家庭に持ち込めないかと考えてホーンシステムの構造をとっていたオートグラフですニューヨークのオーディオショーで発表されたのが始まりです。その後英国オートグラフオリジナルはユニットを1953年 Monitor Silvear 、1957年 Monitor Red、1967年 MonitorGoldと改良させながら、約20年近くに渡り、英国のオリジナルとして制作された。

【2】1974年、オートグラフオリジナル製造中止
不幸にもタンノイの工場が焼けてしまったことと、複雑な構造ためオートグラフを作る専門の技術者が老齢化したので、1974年に名器は惜しまれつつ製造中止となった

【3】1976年、国産オートグラフ復活
新しく日本のTEACがタンノイの代理店になったとき、 オートグラフの復活への交渉も行われた。その時にタンノイからオリジナルと同じ品質を持ったエンクロージャーが日本で制作されれば販売を認めると。TEACでは 日本のタンノイファンの期待に答え復活に全力をあげた。そして日本人の職人が手作りでエンクロージャーを作り、 空輸でロンドンのタンノイ本社に送 りタンノイの承認を得て、ついにHPDを内蔵した国産オートグラフを復活させたのである。その後ユニットは1979年にK3808を内蔵するようにTEACに通告してきた。私のオートグラフはそのTEAC製ということになります。

エンクロージャーは、フロントホーンと複雑なバックロードホーンを オリジナルと同じ寸法で日本人の職人が丁寧に仕上げたもので大型スピーカーの美点をもつものであり豊かな低域と美しい弦の表現では、素晴らしいものがあり、さらには精神の充足感が得られるのです。現在、日本の多くの音楽愛好家が、国産タンノイオートグラフで音楽を聴けるのはTEACの大間知氏をはじめ優れた日本人のTANNOYオートグラフに対する深い愛情があったからです。そのことに対して感謝の気持ちでいっぱいです。

長年憧れたスピーカー タンノイオートグラフ

タンノイを聴いて30年

 【1】私とタンノイとの関係は、30年

 【2】タンノイVLZ(オリジナル)とラックスSQ38FDで5年間 

 【3】タンノイレクタンギュラーヨーク(オリジナルHPD)とQUAD33+50Eで5年間

 【4】国産オートグラフ(K3808)で20年間                            

 【5】現在もこの国産のオートグラフを使用

この国産オートグラフは、大型のフロアスピーカーである。鳴らしこむことで、低域の素晴
らしい質感が得られます。これは、現在のトールボーイのスピーカーでは聴けないものです
また、オートグラフのデザインはモダンであり、コーナーに置くと実に美しく、音が出ていな
くとも、音楽を今から聞かせるという雰囲気にさせます。
オールホーンのエンクロージャーの聴かせる中高域の自然な音と、ここぞと言うときの低
域の厚い弦の響きが重なり、音楽を聴く人の心に訴えかけてくるのです。また、ボーカルも
長く聴いても疲れず生々しさにびっくりしています。まさに、タンノイオートグラフに感動の日
々です。
音楽を愛し、音楽と暮らし、高度な再生装置の発展をみせた英国の人々の英知に感謝し
ています。 

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